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保健師学校の思い出について、今回はお話しますね。
皆さんは保健師の教育はどこで受けましたか?
看護大学、専門学校、短大の専攻科の方などいろいろでしょうか?
私は看護短大の専攻科に進学をしました。専攻科での一年間は結構忙しかったですね。でも、とても充実した濃い日々でした。
保健師学校の思い出…最年長だった私

保健師学校の思い出といえば、なんといってもこれ。
規模は小さめの学校だったので、専攻科生は20名、その中で20代後半の私は最年長だったんです。
既卒の人は私も入れてたった4人だけ。私の2つ下と1つ下の子だけでした。
後はみんなピッチピチの20代前半。
5つ離れた子たちと同級生として過ごしました。今思うと5歳差ってそんなに年下とは思わないですけどねえ。
例年、30オーバーのお姉さま方もチラホラ居るらしいのですが、その年はたまたま居なかったのです。
時には「姉さん」と呼ばれる学生生活でした。でも、どちらかというと頼りない妹キャラの私は若者にも結構なじんでいました。
年下の子の中には今でも仲良しの子も居ます。
保健師学校の思い出…勉強、試験

保健師学校では、講義と実習、卒論を書いたりという学習をして単位を取りつつ、年度末の国家試験に向けて勉強をしました。
夏ごろからは就職活動もしなければならなかったので、かなり忙しかったですね。
忘れられないのが実習の合間に就職試験が1日あったので、実習を一日休んで試験を受けに行った日のこと。
市町村の保健師の試験だったのですが、珍しく体力検査があったのですよね。腹筋とかマラソンをさせられてしまい・・・。
翌日の実習では、母親学級で沐浴指導をする課題があり、人形をお風呂に入れる時、筋肉痛でものすごく辛かったのです。
その市町村に受かって今があるので努力は報われたのですけどね。
保健師学校の思い出…アルバイト

保健師学校の思い出として、アルバイトも大きな位置を占めていますね。
実家から通っていた私は通学に2時間弱かかったものですから、通学もきつくて・・・
それに加え貯金は学費に消えていましたので、1年間無収入になった私は週末や夏休みはバイトをしてしのぎました。
バイトは週末は看護師資格を活かしてベビーシッター、夏休みには老人保健施設で看護師として働きました。
ベビーシッターも老健のバイトも新鮮で楽しかったです。
老健での経験は高齢の方とのコミュニケーションのとり方や介護の基本を知れたし、ベビーシッターでは他人の家に訪問するということに慣れることができたりと、今の仕事に活かせているなあと感じることもあります。
バイト先にも学校に行っていることを話してあったのですが、「就職が厳しくって」とこぼしたら、「そしたら来年はここで働きながら勉強すればいいじゃない」と言ってくださったのを覚えています。
応援してくださってとても嬉しかったです。
バイトでもなんでも勉強させてもらうつもりでがんばる・・・それが大切だったのだなと思います。


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保健師の求人について、お話します。 編集部
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